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『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)

DNAの二重らせん構造の発見を中心にした生物学の歴史がロックフェラー財団図書館を出発点にして語られる一方で、生物の本質を問う記述の中では「動的平衡」という観点が提示されています。

生物の身体をなす細胞は絶えず入れ替わっている、とはよく言われる話ですが、分子レベルで見るとさらに激しく短期間で入れ替わっているのだそうです。
水の流れの中に焦点を結んだ映像のように、常に中身が流れ去りながらも全体の形や働きは安定的に維持されている、というのが動的平衡的な生物観なのです。
この点が、学生時代に分子生物学の手法に親しんでいた私にとっても、新しい観点でした。

動的平衡的な生物観は、哲学上の心身論にどんな影響を与えうるのでしょうか。
本書の中には、伝統的な生物機械論や心身二元論の類しか見いだせなかったのですが、さらに深めていける課題設定だと思います。

機械について、部品が入れ替わっても維持されるものは何かといえば、“情報”です。
短絡的に遺伝子を思い出しているだけではありません。
極論すれば、物質的な裏付けがなくとも成り立つ情報空間のようなものが考えられる、という意味での“情報”です。パソコンの中で、現実と同じ物理法則・生体条件・環境条件が再現できれば、それは現実とどう区別できるのだろう、ということです。
物質の存在そのものが未解決だとすれば、二つの世界は区別できないかもしれません。
その時、パソコンの中で、意識はどのような姿で存在しているのでしょうか。
パソコンが“情報”の入出力機械だとすれば、意識はどのようなものとして入出力可能なのでしょうか。
意識が、次の変化に影響する変数として取り出せるようなものであったとすれば、生物機械的な肉体とすら区別しがたいものとして“情報化”されうるわけです。
平行線が交わる非ユークリッド空間がユークリッド空間と同じ程度に可能であるように、物質など存在しないという仮想空間も、いわゆる物質的な現実と同じ程度に可能なのかもしれません。
・・・そんな思考が可能な課題設定です。

ただし、そこまで語るのは行き過ぎです。
本書そのものの中で、もっとも目に付くところは、野口英世が米国では尊敬されていないとか、二重らせんの発見はワトソン&クリックが盗み見た他人の研究成果によるところが大きい、といった科学史エピソードかもしれません。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

  • 作者: 福岡 伸一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/05/18
  • メディア: 新書


2007-09-29 00:49  nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0)  共通テーマ: [最近読んだ本]

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コメント 3

こんばんは。
実はこの本、気になってました。面白そうですね。

物質が「何も存在していない」というのも情報だと思いますが、それを認識する存在がなければ、その情報は”情報”と言えるのでしょうか?
なんて考えたりして。
by (2007-09-28 23:54) 

plant

カオルさん こんばんは
本書について一つ忘れていました。
ウイルスについて、無生物だとあっさり片づけられていたのは、不満。

無と空の違い、ゼロとnullの違い、に類推的には近いですかね。
by plant (2007-09-30 04:17) 

それはあっさりですね。<ウイルス
私の感覚では生物ですね。存在しようとする意志がある気がしますです。

null・・・煮ても焼いても食えない~
by (2007-10-02 00:32) 

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