SSブログ

『村上春樹論―サブカルチャーと倫理』(大塚英志)

文学ではないサブカルチャーとしての「村上春樹」を語った評論集。
「吉本ばなな」「村上龍」「大江健三郎」「江藤淳」「麻原彰晃」「柳田国男」「三島由紀夫」などと比較しながら、サブカルチャーにとっての倫理とは何か、という主題に収斂していきます。

大塚英志さんは、人気漫画の原作者としてサブカルチャーを担いながら、文芸評論や政治評論も熱心に行い、一時は「物語消費論」で企業のマーケティング活動にも大きな影響を及ぼし、最近では民俗学の専門書も出版している、という方です。
社会から見れば多方面で活躍しているので、“多才”という言葉を使ってしまいそうになりますが、それぞれの作品を見れば、全ての活動が関連しながら必然性のある展開をしていることが見えてきます。

そういう方にとっての「サブカルチャー」という用語は、(メイン)カルチャーよりも一段低いものでも娯楽性だけを無邪気に求めるものでもありません。
それは、メインカルチャーの怠慢によって失われた役割を現に置き換えつつあるものであり、だからこそ倫理との関わりが問われるのです。

さて、ここで言う倫理性をまとめてしまうと、現実社会との関わりにおいて作者がどれほど地道に考え込んだのか、になります。村上春樹さんは、その地道さにおいて評価されています。
たとえば、「9.11」や「オウム」の直後に見られた文学者たちの性急な声明発表に加わらなかったことについて、文学者や評論家から名指しで批判されることもあったそうですが、本書においては、安易に現実と作品との関係を主張してしまった「村上龍」らの方が批判の対象となります。

ところで、大塚英志さんによるサブカルチャーのもう一つの定義は、「ジャンクの再利用」です。
先行作品からの引用などが「ジャンク」であり、そのジャンクをつなぎ合わせることによって成り立つものがサブカルチャーである、というのです。
ただし、先行作品の影響を全く受けない「オリジナル」は存在しないとも言っていますので、全てのカルチャーがサブカルチャーである、というような意味を含んだたとえでもあります。

その「ジャンクの再利用」という意味では、「麻原」「オウム」の教義と「村上春樹」とには強い類似性があり、「オウム」の後には村上春樹さんもそれに気付かざるを得なかっただろう、とされます。
その後の作品展開に、地道に考え込む、という倫理性を見つけながら論が展開し、現在の「大江健三郎」よりも上位に「村上春樹」が置かれたりもするのですが、対象になっている作品を「大江健三郎」についても「村上春樹」についても読んでいないので、比較で見つかるわずかな違いが、よく理解できませんでした。
作品に目を通してからあらためて戻りたいと思います。

村上春樹論―サブカルチャーと倫理 (MURAKAMI Haruki Study Books)

村上春樹論―サブカルチャーと倫理 (MURAKAMI Haruki Study Books)

  • 作者: 大塚 英志
  • 出版社/メーカー: 若草書房
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本


2007-09-28 01:28  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0)  [最近読んだ本]

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。